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医療コラム

【特集レポート】生命を考える座・森林文化フォーラム

「自然そして生と死」で合同フォーラム

2009年05月07日


自然そして生と死


 2009年3月29日、「自然そして生と死」をテーマに、「生命を考える座」と「森林文化フォーラム」による合同フォーラム(第5回)が東京・有楽町マリオンスクエアで開かれました。芸術家の田窪恭治氏、医師の大塚邦明氏、そして琵琶奏者の田原順子氏と異なるフィールドから演者を迎え、それぞれの立場や活動歴から見えてくる、生と死の神秘性、不思議さが語り合われました。

 

 

3万年前に残された手形に命の根源を見る
田窪恭治氏(芸術家・金刀比羅宮文化顧問)

 少年の頃、香川県の金刀比羅宮・奥書院に描かれた伊藤若冲作の「花丸図」と出会いました。障子を通した光が200余りの花を浮き上がらせ、6畳の空間がどこまでも広がる世界に感じたことを覚えています。私が芸術家を志した原点です。

 多摩美術大学卒業後、多くの作品を手がけましたが、画廊という空間を限定する芸術に限界を感じていたときに出会ったのが、フランス・ノルマンディ地方に建つ「サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂」でした。廃墟と化していたこの礼拝堂を、10年余りの歳月をかけ補修・改装し、ノルマンディの象徴である林檎を内壁に描くことで「林檎の礼拝堂」として蘇らせました。この仕事を通し、自分の命よりも長い時間を刻んでいく表現の現場を、私は「風景芸術」と呼ぶようになりました。帰国後は、友人の「フランスの神様の仕事が終わったら、今度は日本の神様の手伝いをしてもらえないか」という言葉に後押しされ、2000年から「琴平山再生計画」の文化顧問を務めています。

 私が衝撃を覚えたフランスの「ショーべの洞窟」に描かれた3万2000年前の絵に触れたいと思います。そこにはサイやカバ、ライオンがいきいきと描かれていますが、感動したのは、失敗部分を手で消した跡が残っていることです。作者の手形も残されており、この手形に命の根源を見た思いがし、植物、動物、人間も地球の鼓動と同調するかのように、こうして時を経て生き続けることができるのだと確信しました。

 

著書:「表現の現場」講談社現代新書 1661、「林檎の礼拝堂」 集英社

 

 

宇宙のシグナルを刻み込んだ体内時計
大塚邦明氏(東京女子医科大学東医療センター病院長・内科教授)

 遺伝子やDNAの構造が分かる前の1943年、ウィーンの理論物理学者、シュレディンガーは生命が生命たるゆえんとして、「子が親に似ること」、「環境の周期性を体に刻みこんでいること」の2つを挙げました。この世に生まれた命はやがて死滅しますが、実際には死んでしまうわけではなく、子どもというそっくりなものを生み出し、次につないでいく。まだDNAが発見される以前に、彼はDNAの複製現象について触れているのです。

 一方、環境の周期性とは、地球の自転周期や月の公転周期を指し、これを何らかの信号として体のなかに残していることを指摘しています。この仕掛けが「体内時計」であり、後になり、この時計の仕組みに「時計遺伝子」が関わっていることが解明されました。

 「時計遺伝子」とは、光によって作られたリズムのことで、これが24時間のリズムを作っています。朝になると目が覚め、夜になると眠くなるのは、時計遺伝子の成せるわざです。今では時計細胞を持たない生命体は地球上にはないことが分かっていますが、言い換えると、時計を組み込むことができなかった生命はいつの間にか死に絶えてしまったのです。

 旧約聖書には「何事にもときがある。生まれるにときあり、死するにときあり」と書かれています。私たちは、宇宙と対話しつつ、宇宙のシグナルに沿う形で体内に時計を育み、その時計によって生活の質をあげ、生命の質をあげるという生き方をしてきました。それを乱してしまうと、がんや骨粗しょう症になり、生活の質が落ち、ものを考える力が落ちてしまいます。つまり、朝はきちんと同じ時刻に起き、夜になったら眠るという規則正しい生活が、私たちの体を守るうえでとても大切なポイントなのです。

 

著書:「時間医学」ミシマ社

 

 

避けられない「死」を扱った作品は深く印象に残る
田原順子氏(琵琶奏者)

 琵琶奏者は平家物語をよく扱うこともあり、人間が生きること、死ぬことに対し、何か特別な想いがあるのかもしれないとご想像される方も多いかもしれません。でも、たくさんのお話を扱う私にとって、一つの物語だけに深く入り込まないためにも、あえて、“ただの物語”として皆さんに聴いてもらうように努めています。

 だからといって、私のなかに何も残らないわけではなく、特に好きなお話のひとつに、平家物語の敦盛と直実のお話があります。「若い敦盛が殺されてお気の毒」という見方が一般的ですが、私は、それ以上に敦盛を殺さなくてはならなかった直実の悲劇のほうが大きいのではと思います。こうした「死」という避けられないものを扱ったお話は、私のなかにとても強く残ります。それともう一つ、お能の謡曲から写してきた「隅田川」というお話も好きです。神隠しに遭った子どもを捜しに母親が京の都から東へ下ったところ、最後に見つけたのは息子のお墓であったという、大変悲しいお話です。これも人間の避けられない「死」を扱っており、私のなかに深く印象づけられています。

 今回は「自然そして生と死」がテーマということもあり、「何に生きるのか」、「死ぬとはどういうことなのか」を考えさせられるお話を演奏したいと思います。作家の中勘助さんが作られた「鳥の物語」のなかの、中将姫というお姫様を取り上げた「ひばり」です。私なりに、「こういうことなのかな」という想いを込めて曲にしました。

 

CD:琵琶語り「宮尾本平家物語」King Record Co.,Ltd

 

 

講演終了後は、3名の演者による討論会が行われました。その一部を紹介します。

田窪氏:昨年末、フランスの実業家エミール・ギメの美術館を訪れたとき、そこにあった節目がちで綺麗な女性像に惹かれたんですが、それがまさに中将姫だったんです。今日、偶然にも中将姫の物語を聴けたのは、地球の大きなサイクルに支配された運や勘みたいなものがあるからでしょうか?

大塚氏:手拍子や血圧、小川のせせらぎなど、自然界のものやことはすべて一定のリズムを刻んでいて、それが「f分の1ゆらぎ」であることが分かっています。自然界のあらゆるところには「f分の1ゆらぎ」が流れていて、これが運や勘にも関係するのだと思います。偶然は必ずしも偶然ではないということです。

田原氏:私にとっては、私自身という存在が一番不思議。なぜ自分は他人じゃないんだろうと。私自身が私自身であるというのは、どこからきたんでしょう?

大塚氏:それについては、現在研究が進められていて、まだ回答が出ていません。シュレディンガーの本にも、「なぜ私たちがここにいるのか」という問いがあるんですよ。1943年の本に書かれてあることを、私たちはまだ超えられていないんですね。

田窪氏:私も高校、大学とそんなことを考えた時期がありました。ユリイカや現代思想を手にしたこともありましたが、ゴールデン街で飲んでいるうちにいつしか自分探しを忘れてしまって(笑)。その後ノルマンディーで林檎の木を、琴平山で椿を描いてきましたが、そういうものと末梢神経で触れ合いながら、所どころで自分を見出しているような感じです。でも僕は男の子を3人持ったので、これでもうパスかな。田窪がやった一番の仕事は男の子3人で勘弁してください(笑)。

大塚氏:よくできているもので、僕は女の子3人なんです(笑)。私たちの時代は、今のように情報もなく、若いときにクリエイティブにやっていかなくてはいけない時代でした。田窪先生と私は美術と医学で立場は違いますが、方法論は良く似ているのではないかと思います。無から有を作り出す決断力と実行力は最近の医学生は少ないのかな。勉強することが多すぎて、6年の間に学ばないといけない、自分で考える時間がないんです。医学ではなく、科学を学ぶ時間をもっと与えるべきではないかと思いますね。

 

 このあとも討論は続き、今日の縁を機に今後もこの普遍的なテーマについて語り合っていく約束をし、フォーラムは締めくくられました。

 

(取材:マインズ・オフィス)

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